レポート
2025.06.04

自然豊かな観光地「仙酔島」に戦争の痕跡 米軍機を迎撃した高射砲陣地跡か

風光明媚な観光地として知られる 広島県福山市鞆町の仙酔島で、戦時中 アメリカ軍機を迎撃した「高射砲陣地」とみられる痕跡が見つかりました。

 

仙酔島は、周囲約6キロの自然豊かな無人島です。

明治以降、旅館が建てられ観光地となり、2029年春以降には、星野リゾートの開業も予定されています。

 

この風光明媚な観光地からは連想しにくい「戦争の痕跡」を、福山市立大学の澤田結基教授が見つけました。 

 

福山市立大学 澤田結基教授
「これが高射砲があったと推定されるくぼ地です」

島の南東側の岬で、直径3メートルから4メートルの円形のくぼ地が、等間隔に4つ。

澤田教授は、戦時中に戦闘機を迎撃した「高射砲陣地」があったとみています。

 

福山市立大学 澤田結基教授
「高射砲はぐるぐると回せるような構造になっているんですね。なので、円形の台座が必要になる」

旧陸軍の船舶部隊に所属し、仙酔島で高射砲陣地の設置に関わったという男性の手記が残されていました。

男性の手記より
『鞆の仙酔島に高射砲陣地をつくり、瀬戸内海で鞆港に避難してくる船舶の援護をすることになった。ダイナマイトを使って岩をくだいて壕を掘り、高射砲四門をつくった』

 

この手記から、1944年11月から翌年7月にわたって、高射砲陣地が設営されたと推測できるといいます。

また「高射砲が4門あった」とする内容が、くぼ地の数と一致していました。

さらに、一段高い位置にある石積みのくぼ地を起点に、4つのくぼ地と扇形になることもわかりました。扇形の構造は、高射砲陣地の整備条件をまとめた資料に記されています。

福山市立大学 澤田結基教授
「(石積みのくぼ地は)指揮系統、ないしは飛行機の高さや速度を測る機械の据え付けなどの設置が行われた場所だと考えています」

整備した理由について、手記では、鞆港へ避難してくる船舶の擁護だったとしています。

 

福山市立大学 澤田結基教授
「手記の内容を信じると、この砲台は、福山方面に飛来する飛行機の経路というよりは、鞆港方面にやってくる飛行機に対して、狙いを定めやすい角度に設置されています」

福山市人権平和資料館の寺地靖仁副館長は、日本軍がアメリカ軍機の飛行ルートを知っていたため、仙酔島に高射砲を構えたと指摘します。

爆撃機の飛行ルートを示したアメリカ側の資料によると、テニアン基地からまっすぐ日本に向かっています。

福山空襲のほか、東京大空襲でも爆撃機がここから飛び立っています。

 

福山市人権平和資料館 寺地靖仁副館長
「直線コースで行くと、(仙酔島近くを通る)航路になるのは日本軍も分かっていたということで、あらかじめ防衛ラインとして、仙酔島を基地にしたということになりますね」

 

 

仙酔島の高射砲は、1945年8月8日の福山空襲で、B29の迎撃に使われたという手記も残っています。

しかし効果はなく、市街地の8割が焼失しました。

 

福山市立大学 澤田結基教授
「戦時中といった時代の中で、展望に非常に良い場所が高射砲陣地というかたちで使われていた。まったく場所の性質も、使われ方も変えてしまったということが、ここの歴史にも刻まれているというのがわかる、生き証人であるかなと思っています」

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