とても気さくな宮本さん。工房に足を止めると「昭和30年代に廃止されるまでおちょろ舟が港に並んでいたなあ。順番待ちもしてたよ。港には石炭船も多く停泊し、大長(大崎下島)から糸崎までみかんを運ぶ船も行き交っていたなあ」と遠くは四国まで見渡せる目の前の海を眺めながら、往時のにぎわいを教えてくれました。ちなみに工房の看板にも書かれている「おちょろ舟」は港町として栄えた御手洗で、上陸できない下級の船乗りのために、遊女を停泊中の船まで運んだ船なのだそう。今のボートくらいの大きさで、中に部屋があり、4~5人の遊女が乗っていたそうです。
宮本さんはこの御手洗の文化を伝える「おちょろ舟」や北前船などの模型を製作しています。